2014年12月24日水曜日

大学入試改革について②

22日、中教審は文科省に対し大学入試改革案を答申しました。内容は前回のブログの通り。

改革の方向性には大賛成であるし、私どもの提供させていただいているコンテンツはまさに問題解決力や知識を活用する力が必要であるとの思いから作り出したものですので、そういう意味では6年後にはぜひ実現してほしいと思っています。

「理科と社会は暗記科目ですので、まあいいとして」と、どこかの塾の説明会で若い女の先生がこの2科目について一言で終えていたのを思い出します。理科についてはいまさら申し上げるまでもありませんが、全く違います。折しも昨日のニュースで高校の歴史の指導方法について、暗記一辺倒から、全体の流れや背景などどうしてそのようになったのか、などもっと深い勉強へと移行しそうだと報じていました。その分ずっと増え続けてきた用語や年号は減らすのだそうです。

全くその通りだと思います。難しい用語や年号をひたすら覚える勉強ほど無意味なものはありません。歴史にもその背景には物語があり、それらを小説やドラマなどでみると生き生きとしたもであり面白いなあ、と感じます。そこまで装飾しなくとも、その背景や当時の情勢などを深く知ることは、歴史の勉強においてとても重要なことであり、これがまさに「考える力」をつける大前提ではないでしょうか?「歴史から学ぶと」といいますが、用語や年号を覚えただけでどうやって学び活かすことができるでしょう?

さて、大学入試改革に話を戻します。

そのような方向性は大歓迎であるのですが、本当に答申にあるようなことが実現できるのか・・少し心配な面もあります。

まず、記述式が増えること、ですがそれ自体はマークシートのみのセンター試験に比べるととても良いと思いますが、少子化の方向にあるとはいえ、何十万人と受けるであろう「大学入学希望者評価テスト」の記述の採点者がそれだけ多く確保できるのか、また、採点基準などあいまいな部分はどうするのか・・。このテストは高校時代に年に複数回受けられるようなのでさらに大変であろうと想像できます。

そして、次の段階である大学ごとの入学試験ですが、答申では小論文や面接を重視し、主体的に学ぶ姿勢や問題を発見し解決する力を評価し選抜する、となっています。「今までの価値観とは全く違った入試になる」とは中教審会長。

そうすると先ほどの歴史もそうですが、学校での教育のかたちが大きく変わってこそ実現できる内容であるため、期待するところでありますが、一方いわゆる「塾」業界のありかたも大きく変容するのでしょうか?

おそらくは、「小論文コース」だのディベート術などを教える「リーダー育成コース」だの、があちこちで登場するのではと思われますが、それらが「対策・スキルアップ」に過ぎないものであるのなら、本来の目的からは外れてしまい、さながら「就活のための対策講座」みたいになり、どの受験生も同じような内容の論文ばかり・・、面接しても判で押したように同じような優等生的な答えが返ってくる・・。集団討論では就活よろしく「調整役にまわるのが得策」とか・・。

これでは、意味がありませんよね。

ちゃんとした大学なら小手先のノウハウでもって対策が打てるような出題の仕方はしないであろうし、面接官もその辺は見抜いてくださることを願うところです。就活だって対策マニュアル通りにやってもうまくいかないのは、何も深く考えずにマニュアル通りにやっているからで、中身が見えないからなのに、それに気付かない。

今度の大学入試改革でも、それらの懸念材料をきちんと解決できる制度設計をしっかりやっていただき、「ゆとり教育(私はこれには反対ではありませんでした)」がすぐに終わってまた元に戻ってしまったように、また数年後には元に戻しましょう、などとならないことを祈るばかりです。